こんにちは
小田部 久子です
ここは、私が幼い頃、毎日の様に、遊んだ河原の土手です
この土手を登ると、大芦川が流れています
遠くに連なる美しい山々、夏になると、川に飛び込んで遊びました
川は深くて、足の届かないところや、ものすごい水の勢いに押され、流されたりと
ここは、ありあまる時間を、暗くなるまで遊んだ懐かしい場所です。
昔は、この土手をはい上がるのが大変だったのに、大人になった今は
そんなに大きく感じられません
何十メートルも続くこの土手を、かけあしで、風を切って思いっきり走った、幼い日が懐かしい
今、よくこの景色を眺めると、ルノアールの描く風景に似ているなぁと思う
五月は、たくさんの家で、競い合うように、こいのぼりが泳いでいたのに
最近はそんな風景も見られなくなってしまった
ここには、父の大切にしている田んぼがある
今年も田植えを手伝った
父の丹精込めて作るお米を食べられることは、本当に幸せな事だといつも思っている
田植えをしている父は、本当に楽しそうだ
いつまで私は、こんな幸せな時を過ごすことが出来るだろうと、ふと考える事もある
上の写真の、遠くに続くあぜ道を歩いていくと、山がある
あの山の中には、神様が祭ってあって、そこが夏休みのラジオ体操の場所だった
山の広場は朝でも薄暗く、一番体の大きい6年生のガキ大将のともちゃんでさえも
持ち上げるのやっと位の、大きな大きなガマガエルが姿を現したりする
ともちゃんは、そのガマガエルをみんなにぶつけるのだ
みんながキャーキャー言って逃げ回る
自然以外は何もない所だったが、子どもにとっては最高に楽しい場所だった
でも私は、あの山に続くあぜ道が、とても苦手だった
夏はひざ上まで草が伸び、朝露で足がぬれるのが嫌だったし
両側からは、背丈ほどもあるイモの葉っぱがぬぅ〜と手を広げてくるのも嫌だった
何故って、それが腕に当たるとイモの葉っぱから真珠の様な朝露が流れおち、体がぬれる
第一、大っ嫌いなカエルが飛びついてくるからだ
友だちは先に歩いて行ってしまう
一人になるのがいやで、目をつぶって山をめがけて思いっきり走る
ラジオ体操する前に、もう体は足の先から全部びしょびしょだ
洋裁の大好きな母は、夏になると、毎年決まって、きれいな色の鮮やかな布で
いろんなサンドレスをつくってくれる
その洋服を着て歩いていくのに、かえってくると、せっかくの洋服も、
足の先まで、もう汚れていた
そんな泣き事を言うと、おばあちゃんが、私の歩くあぜ道の草を、ラジオ体操の始まる時間の前に
カマで草を全部刈ってくれた思いでもある
この里山のふもとの道を子供たちが歩く姿も、今はもうないのが少し寂しい
鹿沼は、里山の風景に囲まれた美しい故郷
もうすぐ、あじさいの咲く季節がやってくる
時間を見つけては、大好きな里山の中に出かけようと思う